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日本の民謡 曲目解説<山形県> あ〜た
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  「あがらしゃれ」(山形)
    《たんと飲んでくりょ なにゃないたても わしの気持ちが 酒肴》
  別名「大沢節」。秋田県に境を接する最上郡安楽城(あらき)村の大沢(現在
は真室川町と合併)は、秋田へ抜ける街道の宿場。ここでは、宿の主人が来客
に酒をすすめる時は唄ですすめる。飲まない時は両側から押さえつけ、耳を引
っ張り、口に酒を注いだ。酒を飲み、正気を失えば、神々の住む世界に近づけ
ると考えていたからである。古風な信仰を伴った酒盛り唄はここだけに残り、
土地では手拍子だけで唄っている。戦後、県の民謡会が伴奏を付け、節も改め
た。最上郡出身の伊藤かづ子が、昭和30(1955)年頃、レコードに吹き込む。
            ◎今泉  侃惇COCF-6517(90)
            ◎宇野  幸子VICG-2063(91)
            ◎斎藤  陽子COCF-9306(91)
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  「石切り唄」(山形)
    《見たか聞いたか 山寺名所 慈覚大師の 開山だ》
  山寺(立石寺)の石切り場で、花崗岩を切り出す石切り職人によって唄われて
いた。宮城県との県境近い山寺の石切り場からは、良質の花崗岩が産出された。
全国を渡り歩く石職人が唄ったため、郷土色は少ない。石の破片で失明した石
切り職人・縄野桃村は、東根市で民謡の唄い手となり、戦前の山形を代表する
民謡家となった。今日の「石切り唄」は、縄野が覚えていた「石切り唄」をま
とめ上げたもの。
  今泉のCDでは、平成12(2000)年5月に、惜しくも逝った米谷威和男が尺
八伴奏を務めている。
            ◎今泉  侃惇VICG-2063(91)
            ◎羽柴  重見COCJ-30335(99)
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  「置賜しょうがいな」(山形)
    《しょうがいな踊りが 今始まるぞ 爺さま出てみろ 孫連れて》
  米沢地方一帯に「会津めでた」が伝播して定着。「しょうがいな」は唄の最
後の文句から。酒席の祝い唄として唄われている。
   大塚文雄(1940-)は山形県河北町の出身。昭和34(1959)年、初代鈴木正夫
が主宰する民謡会に入会。昭和36(1961)年、日本民謡協会全国大会で「新相
馬節」を唄って優勝する。大塚の演唱は、やたらと声を張り上げ、高音と美声
を誇るものの、表現が大仰で微妙な味わいと品格に欠けている。商業主義に乗
せられ、大きなステージで唄っていると、いつしか古里の土の香りを失ってい
くもの。
  「どこかに生まれ故郷の姿というものがなければ、正しい民謡とは言えない。
それが民謡の郷土性というもので、民謡から郷土性が失われたら、流行歌や俗
歌と区別のつかないつまらない唄になってしまう。したがって民謡を聞く場合
に、声や節がさほど美しくなくとも、あまり上手でない素朴な唄の方に、かえ
って心をうたれることがあるのは、それが本当の民謡の姿だからである」(町
田佳聲「日本民謡集」によせて1967.9.15 NHKサービスセンター発行”ふるさ
とのうた”解説序文より)
            △大塚 文雄KICH-8112(93)
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  「置賜長持唄」(山形)
    《今日は日も良し 天気も良いし 結び合わせて 縁となる》
            ◎今泉  侃惇CRCM-10016(98) COCJ-30335(99)
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  「かくま刈り唄」(山形)
    《山は深いし かくまは伸びた お山繁盛と 鳴くからす》
  宮城県宮城郡にある定義薬師では、信者がお籠りの夜、徹夜で「定義節」を
唄い競った。その定義節が移入。唄は下の一句五文字を二度繰り返す「二上り
甚句」の一種で、東北各地に広く分布する。福島県の「相馬二遍返し」なども
同系統。かくまは雑木の小木のことで、東村山郡谷沢あたりでは、雑木の細い
ものを薪にする。山の行き帰りや、仕事の気晴らしに口ずさんだ。
            ◎今泉  侃惇COCF-9306(91)
            ○藤堂  輝明COCJ-30335(99)
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  「菊と桔梗」(山形)
    《菊と桔梗は どちらが妹 同じ衣装に 対の櫛 いずれ劣らぬ 同い歳
      みつみつ話す その訳は 思うてみしゃんせ めでたいな》
  東根市北西部の旧北村郡長瀞地方で唄われる祝い唄。文久の頃(1861-64)、
寒河江に住む鶴沢政の市が、上方から紅を買い付けにきた商人から習い覚えた
との伝承がある。三下り、または本調子の三味線が付いた品の良い唄。
            ○高橋きよ子CRCM-40042(95)
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  「酒田甚句」(山形)
    《日和山 沖に飛島 朝日に白帆 月も浮かるる 最上川
      船はどんどん えらい景気 今町 船場町 興屋の浜
      毎晩お客は どんどんしゃんしゃん しゃん酒田は 良い港》
  幕末から明治にかけての酒田港の繁盛を背景にした花柳界の酒席の騒ぎ唄。
江戸で流行した「そうじゃおまへんか節」が定着したもの。酒田は庄内平野と
最上川流域の米の集散地で、米穀倉庫群が有名。酒田港は室町時代から開け、
寛文12(1672)年、河村瑞賢(1617-99)が貯米場「瑞賢蔵」を建設して、西廻
船航路の寄港地となる。江戸時代に入ってから米の積み出し港として栄え、年
間二千五百隻以上の北前船で賑わったという。港の北側にある日和山公園には、
明治28(1895)年築造といわれる日本最古の木造燈台がある。
            ○宇野 幸子APCJ-5033(94)
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  「酒田船方節」(山形)
    《お前来るなら 酒田においで 飽海田川は 米の里
      北と東は 山また山で 羽黒 月山 鳥海山は
      これぞ宝の 山ぞかし 今に黄金の 花が咲く》
  酒席の騒ぎ唄。酒田港へ入った船人たちが、三味線に合わせて賑やかに唄っ
た。島根県方面で生まれた「出雲節」が酒田へ移入。秋田では「秋田船方節」
を生む。「出雲節」は、北前船の船乗りが好んで唄い、各地の港へ伝えた。
「出雲節」は、江戸末期に鳥取県境港あたりにいた芸者・さんこを唄った「さ
んこ節」が変化したもの。
  浜田百合子は野趣に富み、浜の女性らしさをうまく表現している。
            ◎今泉  侃惇COCF-9306(91)
            ◎浜田百合子VICG-2041(90)
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  「酒屋米とぎ唄」(山形)
    《お米とげとげ 今とぐ米は 酒に作りて 江戸に出す》
  精米した米を洗う作業のときに唄う。酒造りの工程ごとに唄う唄があって、
労働の気散じや、時計代わりに唄った。
            ○町田  忠雄CRCM-10016(98)
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  「七階節」(山形)
    《この家に 祝い揃えし 松と竹 松と竹とは この家の祝い
      松と竹とは この家の祝い》
  県の西、村山郡一円で唄われる祝い唄。五七五七七の詩型を持ち、末句の七
七を繰り返して七節になるところから「七回節」と呼ばれ、回に階の字があて
られた。民謡には珍しい短歌形式で、合いの手の部分があったり、歌舞伎の台
詞のようなものが挿入されたりするものもある。三味線付きの唄で、歌舞伎踊
りの祝い唄だけが残されたといわれる。
            ○大塚  文雄KICH-2012(91)
         ○石子  文子COCF-9306(91)
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  「しょうがいな(置賜しょうがいな)」(山形)
    《さんさ時雨か 萱野の雨か 音もせできて 濡れかかる》
  米沢を中心に、置賜地方で広く唄われる祝い唄。仙台の「さんさ時雨」が移
入。歌詞は二幅一対で正座して威儀を正し、手拍子で唄われる。米沢では、男
性の謡曲に対して女性の祝い唄とされている。
            ○宮下    昇CRCM-10016(98)
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  「庄内おばこ」(山形)
    《おばこ 来るかやと たんぼのはずれまで 出て見たば
      おばこ来もせで 用のない 煙草売りなど ふれて来る》
  酒田を中心とした庄内平野の農村部で、酒席の踊り唄として唄われてきた。
「おばこ」は若い娘さんのこと。正月などに、豊年祝いにやってくる門付け芸
人の一団が唄っていた。はじめは「出羽節」と呼ばれていた。歌詞は上の句と
下の句が対話形式になっている珍しいもので、これが秋田へ移入されて「秋田
おばこ」になった。曲節にさびがあって、リズム感、メロディーともに優れた
唄。
 関本とみ子は、光股愛子の力強い三味線で土地の匂いがいっぱい。この唄は、
美声だけでは唄えない。
            ◎関本とみ子COCJ-30335(99)
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  「庄内土搗(つ)き唄」(山形)
            ○渡辺喜太郎CRCM-10016(98)
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  「庄内はいや」(山形)
    《出羽の庄内 お米のでどこ 秋にゃ黄金の 花が咲く》
  賑やかな酒盛り唄。県北西部、最上川河口に開けた港町・酒田を中心とする
庄内平野の村で、農民達が「土洗い」などと呼ぶ遊びの日に唄ってきた。九州
天草や牛深の酒席の騒ぎ唄「ハイヤ節」が変化したもの。北前船の船人が置き
土産していった「ハイヤ節」は、江戸時代の末には、日本中の港で盛んに唄わ
れた。近郷の農民が酒田に遊びに行った際に習い覚え、故郷へ持ち帰って唄う
と、それがいつしか定着して庄内のものになった。海のハイヤとは違う陸のハ
イヤ節。
            ◎辻   秀菁COCJ-30335(99)
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  「新庄節」(山形)
    《あの山高うて 新庄が見えぬ 新庄恋しや 山憎や》
  酒席の騒ぎ唄で甚句の一種。明治6(1873)年にできた万場町の遊廓で唄い始
められた。草刈りの往来に唄っていた「草刈り馬子唄(羽根沢節)」が徐々に変
化。万場町に持ち込まれたものは、お座敷唄として磨き上げられていった。大
正3(1914)年、新庄三吉座のこけら落しに来演した尾上多賀之丞に改作を頼み、
踊りの振り付けも作ってもらって、今日の「新庄節」が完成したという。野暮
で小粋で、そして哀切な味わいがある唄。
  男声では山形の民謡を唄わせると、なんともいえない味がある今泉侃惇。佐
藤節子は野で働く女性の雰囲気を持ち、土地の匂いを醸し出す。声を張り上げ、
美声を誇るだけの当代人気歌手には唄えない唄。
            ○今泉  侃惇COCF-6547(90)
            ◎佐藤  節子COCJ-30335(99)
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  「新花笠音頭」(山形)
            ○三橋美智也KICH-2184(96)
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  「大黒舞い」(山形)
    《さあさ儲け出した 儲け出した 何がさてまた 儲け出した
      この家の旦那様 お心良しで 商売繁盛で 儲け出した
      七十五軒の 蔵を建て 今年しゃ豊年 よい年柄よ
      陸作田作も 万作で 稲を刈って みたれば
      十万八千 刈ったとや 四束三把で 五斗八升
      俵立てておき 桝も入らずに 箕ではかる
      米を積んで みたれば 七万俵 お旦那様も お喜び
      町も在郷も 賑やかだよ 納まるところは 何よりも 目出度いとナ》
  正月になると、村に大黒舞いがやってくる。頭巾をかぶり、はっぴにたっつ
け袴をはき、右手に小槌、左手に日の丸扇を持って、めでたい口上を述べる。
この風習は全国的なもので、めでたづくしの文句を、ほとんど節のない地口風
の語りで進めていく。西村山郡河北町高島に住む斎藤力夫は、村山地方の「大
黒舞い」を唄っていた。これを大泉さだよが覚え、節回しを改良。昭和24
(1949)5年ごろ、「大泉節」を作りあげた。これが県下に広がって「山形大黒
舞い」となった。
            ◎今泉  侃惇COCF-12241(95)
            ◎伊藤かづ子VICG-2063(91)
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