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日本の民謡 曲目解説<秋田県> あきた
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  「秋田馬方節」(秋田)
    《長い道中で 雨降るならば わしの涙と 思うてくれ》
  馬を引きながら夜道を行く博労が、馬市の行き帰りに唄った。東北地方には
さまざまな馬方節があり、地名や県名を冠して区別している。唄の骨組みはい
ずれも同じで、「南部馬方節」が下地になっている。秋田県には、異なった節
回しの馬子唄と馬方節があり、馬子唄は昭和の初めごろ、仙北郡中川村の黒沢
三一(1894-1967)がレコードに吹き込んだもの。馬方節は、由利郡金浦町の加
納初代(1893-1966)がレコードに吹き込んだものをいう。別の唄ではなく、同
じ唄が黒沢節と加納節で固定した。加納初代は高音、美声で「本荘追分」「秋
田馬方節」「秋田臼挽き唄」などを得意とした。
            ○佐藤   清VICG-2061(91)
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  「秋田追分」(秋田)
     (前唄)春の花見は 千秋公園 夏は象潟 男鹿島か
           秋は田沢か 十和田のもみじ 冬は大湯か 大滝か
     (本唄)太平の 山の上から はるかに見れば 水澄み みなぎる 八郎潟
     (後唄)誰を待つやら きみまち坂 主と二人で 抱き返り
  大正14(1925)年、秋田の民謡家・鳥井森鈴が仙台の民謡大会で発表。江差
追分を改編したもの。後藤桃水(1880-1960)の推薦で、翌大正15(1926)年に
「秋田追分」と名付けてレコードに吹き込む。昭和43(1968)年度NHKのど
自慢全国コンクールで、浅野和子がこの唄で優勝してから広く知られるように
なった。
            ◎鳥井  森鈴VDR-25152(88) CF-3661(89)
            ◎浅野  和子COCF-9303(91)
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  「秋田おばこ」(秋田)
    《おばこ 何ぼになる この年 暮らせば 十と七つ》
  山形県の「おばこ」が秋田化。仙北郡の南の地域に移入された山形おばこは、
各村落に定着して節回しが変化していく。村名を冠して「田沢おばこ」「神代
おばこ」「白石おばこ」などと呼んでいたが、これらを総称して仙北おばこと
呼んでいた。おばこは娘さんのこと。仙北郡神代村に住む笛の名人・笛王斉は、
角館のお祭りの「飾山(おやま)囃子」のために仙北おばこを編曲。新しい節づ
けをして娘の佐藤貞子に唄わせた。これが大評判となり、仙北全体が「貞子節」
一色になった。笛を中心に編曲したため、節が上へ上へと昇っていくのと、小
節を多用するところが面白い。
  米谷威和男の笛が華麗な川崎千恵子(VDR-25242)。男声は森山進(KICH-2012)。
            ◎千葉千枝子COCJ-30333(99)
            ◎小野  花子KICX-81007/8(98)
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  「秋田おはら節」(秋田)
    《野越え山越え 深山越え あの山越えれば もみじ山
      もみじの下には 鹿がおる
        鹿がぽろぽろ 泣いておる 鹿さん鹿さん なぜ泣くの》
  津軽の小原節を「秋田小原節」として唄いだしたのは秋田市在住の村岡一二
三である。昭和の初期のものは津軽色が濃かった。現在のようになったのは戦
後のことで、彼女に浪曲の素養があったためか、この唄は独特の語り口調が聞
かせどころ。
            ○長谷川久子COCF-9303(91)
            ○小野  花子KICH-8204(96)
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  「秋田音頭」(秋田)
    《秋田音頭です いずれこれより 御免蒙り 音頭の無駄を言う
      あたり障りも あろうけれども さっさと出しかける》
  寛文3(1663)年頃、久保田城下(秋田市内)で手踊りの「御国音頭」が流行し
ていた。それを藩公上覧の際、家臣の一人が柔術の手を加えて藩の子女に習わ
せた。これが好評で、たちまち城下に広まる。賑やかな三味線、笛、太鼓と鉦
に乗り、節なしの地口でユーモラスな文句を綴ってゆく「御国音頭」は、いつ
しか囃し言葉だけが発達し、節の部分は忘れられる。角館に伝えられたものは、
賑やかな伴奏と節のない地口の語りが人気を集めた。「仙北音頭」と呼ばれて
仙北一円に広まり始めた。後に「秋田音頭」と改名。
  佐々木、長谷川の掛け合いは、おしどり夫婦の息もぴったり。
            ○佐々木常雄、長谷川久子30CF-1753(87)
            ◎小野花子、浅野和子、佐藤サワエ、浅野千鶴子、千葉千枝子、
                田中アエ子VICG-2061(91)
            ○小野花子、進藤義声、田中希代子、斎藤範夫28CF-2874(88)
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  「秋田草刈り唄」(秋田)
    《朝の出掛けに どの山見ても 霧のかからぬ 山はない》
  秋田県仙北地方の唄。農家では、夏のうちに刈った草は牛馬の飼料にしたり、
家畜小屋に敷いて推肥を作る。夏の朝、東の空が白む頃に馬を曵き、朝草刈り
にでかける。草刈りの往来で馬を曵きながら、あるいは草を刈り終わってひと
休みしている時などに口ずさんだ。
            ◎羽柴  重見COCJ-30333(99)
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  「秋田草取り唄」(秋田)
    《草取りな 腰も痛かろ せつなかろ 長い煙草で 腰をのす》
  農作業の中で、最も辛い仕事が除草作業といわれている。田植えの後、稲が
成長するにつれて雑草も伸びてくる。炎天下の泥田で始まる草取りは、10日
から14、5日間隔で3、4回行う。腰をかがめ、あるいは泥田に這って、終
日、草を取るのは、大変な重労働であった。田植えは女仕事、田打ちや代掻き
は男仕事であったが、草取りは男女共同の作業であるため、田植え唄とはまた
違った恋の唄も唄われた。苦しさに耐えながら唄う余韻嫋嫋とした唄。
            ○小野 花子KICH-8116(93)
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  「秋田駒引き唄」(秋田)
    《十五 七では 馬屋に立てたる 鹿毛の駒 心知らねやで 乗りかねた》
  馬が飛んだり跳ねたりするさまに似た駒踊りは、東北各地にある。この唄は
二ツ井町周辺の唄で、駒踊りが勢揃いして出てくる前座として唄われる。
            ○小野 花子KICH-8204(96)
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  「秋田酒屋唄」(秋田)
    《さんさ酒屋の 始まる時は へらも杓子(しゃくし)も 手に付かぬ》
  酒造りの工程別によってそれぞれ唄があり、酒造り職人の杜氏たちが唄う
「もと摺り唄」が「酒屋唄」として知られる。蒸し米五斗に糀(こうじ)二斗、
水六升の割り合いで桶にいれ、よく混ぜて一晩放置しておく。翌朝、粥(かゆ)
のようになったものを三人でかきまぜる時、櫂(かい)の調子に合わせて唄う。
現在唄われている節回しは昭和15(1940)6年頃、杜氏の唄う「もと摺り唄」
に鳥井森鈴が手を加え、鳥井流の唄い方にしたもの。酒屋唄には「米とぎ唄」
「床もみ唄」「もと摺り唄」などがある。
            ◎江村  貞一VICG-2061(91)
            ○田中アエ子COCF-9303(91)
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  「秋田酒屋仕込み唄」(秋田)
    《酒屋杜氏衆を なじみに持たば 水屋の窓から 粕貰た》
            ○大塚  文雄276A-5001(89)
            ○小野  花子KICH-8116(93)
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  「秋田竹刀(しない)打ち唄」(秋田)
    《揃た揃たよ 竹刀打ち揃たよ 稲の出穂より よく揃たよ》
  県南部、由利郡を流れる子吉川付近の農民が、堤防や蔵を修理する際に唄っ
た。粘土と土を交互に積み重ね、竹刀と呼ばれる棒や板で付き固めて修理する。
音頭取りの唄に合わせ、皆が囃しながら唄う一種の「地固め唄」。本来は三味
線などの伴奏は付かないが、戦後、ステージで唄われるようになると、この地
方の「臼挽き唄」とよく似た三味線の手が付けられるようになった。
            ○青木 重子APCJ-5034(94)
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  「秋田甚句」(秋田)
    《甚句踊らば 三十が盛り 三十過ぎれば その子が踊る》
  唄の母体は旧南部領の「なにゃとやら」。もとは上の句と下の句が同じの
「甚句」とか「サイサイ」と呼ばれる素朴なものだった。仙北郡角館(かくの
だて)にある神明社の祭礼で演じられる「桟敷踊り」に取り上げられると、三
味線、笛、太鼓の伴奏で、賑やかな囃しと娘の手踊りで唄われるようになる。
この唄を大正期に神代村の「秋田おばこ」の名人・佐藤貞子が各地で唄い歩く
うち、神へ供える「神供踊り」の神供に「甚句」の文字を当てて曲名とした。
  かっちりと唄い、加藤昇風の笛がよいのは藤井ケン子。お囃しに、同じ浅野
梅若門下の小野花子、浅野和子を配した田中アエ子がよい。
            ◎田中アエ子VICG-2061(91)
            ○藤井ケン子CF-3454(89)
            ○小野 花子KICH-8116(93)
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  「秋田大黒舞い」(秋田)
    《明けの方から 福大黒 舞い込んだ 舞い込んだ 舞い込んだ
      何が先に立って 舞い込んだ 御聖天が 先に立ち 若大黒が 舞い込んだ
      四方の棚を 見渡せば 飾りの餅も 十二重ね 神のお膳も 十二膳
      代としょう 代々と 飾られたや 何よりも めでたいとな》
  正月になると、頭に頭巾、手に小槌を持って、農家を門付けをして歩く大黒
舞いが現れる。大黒舞いは全国各地にあり、いずれも地口風のもので大同小異
だった。庄内のものは民謡家・大泉さだよの手によって現在の「山形大黒舞い」
となり、秋田県では鳥井森鈴のものが一般的となる。三味線の手は浅野梅若が
「秋田万才」から流用した。昭和41(1966)年頃から流行し始め、昭和43
(1968)年、秋田五星会の佐々木常雄と長谷川久子の掛け合いでレコード化され
ると、たちまち秋田を代表する唄になった。
  伊庭末雄は、控え目の三味線でテンポを遅めにとって唄う。
            ◎佐々木常雄、長谷川久子COCJ-30333(99)
            ○伊庭  末雄00DG-70/3(86)
            ○小松みどり VICG-2061(91)
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  「秋田タント節」(秋田)
    《一つ 人目の 関所を破り 連れて行くのが 現れた
      お江戸へ行くとて 津軽へさ 津軽にお江戸は あるものか
      業恥さらして タントタント アイコノ上作 そのわけだんよ》
「藁打ちタント節」と呼ばれるところから、藁打ち作業の仕事唄のように考え
られているが、仙北地方の郷土芸能「番楽」の中で、藁を打つ振りで踊る部分
からできた唄。昭和9(1934)年頃、黒沢三一(1894-1967)がレコード化して知
られるようになったが、後に津軽の影響を受けて次第に津軽化。当初の秋田ら
しい軽妙さが失われてきている。
 若々しい美声で、野趣があってよい佐藤サワエ。高橋祐次郎の伴奏は(VICG-
2061)。味のある千葉千枝子。
            ○藤山  進K30Y-217(87)
            ◎佐藤サワエVICG-2061(91) CRCM-10011(98)
            ○千葉千枝子COCJ-30333(99)
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  「秋田長持唄」(秋田)
    《蝶よ花よと 育てた娘 今日は他人の 手に渡す》
  嫁入りの時に箪笥や長持ちを担ぐ人たちが唄う。花嫁が家を出るときは、次
に帰るときは孫を連れてと、親の気持ちを唄い、長くお世話になりましたと、
仲人が嫁の気持ちを唄い返して出発。途中では花嫁をほめ、村境まで来ると、
婿方の長持ち担ぎを連れた仲人が待っていて、荷物受け渡しの唄を唄う。その
後は婿方をほめる唄となり、花嫁行列が家に着くと、唄で花嫁と荷物の引き渡
しを行う。その場その場の即興で唄われた。大名行列の荷物を運ぶ雲助たちの
「雲助節」を、農民たちがまねたもの。浅野梅若は、河辺郡大正寺村に伝わる
節回しを弟子の浅野千鶴子に覚えさせ、昭和36年(1961)度NHKのど自慢全
国コンクールで優勝させた。以来、この唄は全国に知られるようになった。
  秋田民謡は全般に女性が優位。渋さが光る伊藤旭峰。伊藤多喜雄も参考に。
            ○伊藤  旭峰COCJ-30333(99)
            ○佐々木  実COCF-6547(90)
            ◎日景  裕子ZV-18(86)
            ○浅野  和子VICG-2061(91) CRCM-40017(93)
            ○小野  花子KICX-81007/8(98)
            △伊藤多喜雄32DH-544(87)
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  「秋田荷方節」(秋田)
    《荷方寺町の 花売り婆さま 花も売らずに 油売る》
  新潟節がなまって、にかた節に。新潟節の名は、”新潟寺町……”の唄い出
しから。曲は越後生まれの「松坂」で、越後新発田の検校・松波謙良の作とさ
れる。越後の瞽女や座頭たちが諸国に持ち回り、秋田県には「にかた節」の名
で移入されて、祝い唄として広く唄われていた。北海道に持ち込まれた「仙北
荷方節」式のものは、お座敷唄として唄われていたが、それを北海道巡業に行
った永沢定治と浅野梅若が習い覚え、昭和24(1949)年に「秋田荷方節」とし
てレコードに吹き込む。秋田で最も華麗な唄。
  浅野千鶴子と小野花子は、師匠・浅野梅若の三味線で唄う。
            ◎菊池智次郎VICG-2061(91)
            ◎浅野千鶴子COCJ-30333(99)
            ◎小野  花子KICX-81007/8(98)
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  「秋田馬喰節」(秋田)
    《二両で買った馬 十両で売れたよ 八両儲けたよ 初博労》
          ○石綿 清耕APCJ-5034(94)
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  「秋田節」(秋田)
    《おらが秋田は 美人のでどこ お米にお酒 秋田杉
      それに名のある おばこ節 こけし人形に 蕗みやげ》
  山形県酒田方面で唄われていた唄が移入されたもの。当初は「酒田節」と呼
ばれていたが、唄われることが少なく、忘れられていた。秋田民謡でならした
小野峰月が覚えていたものを藤田周次郎が習い覚え、戦後、藤田周次郎作詞、
小野峰月作曲でレコードに吹き込む。その際、曲名も「秋田節」に改名。
            ◎初代藤田周次郎CF-3661(89)
            ○小野  花子COCF-9303(91)
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  「秋田船方節」(秋田)
    《三十五反の 帆を巻き上げて 鳥も通わぬ 沖走る
      その時 時化に遭うたなら 綱も碇も 手に付かぬ
      今度船乗り 止めよかと とは言うものの 港入り
      上がりて あの娘の顔みれば 辛い船乗り 一生末代
      孫子の代まで 止められぬ》
  秋田郡船川町あたりで、船人相手の女達が唄った酒席の騒ぎ唄。一時は日本
中で唄われた「出雲節」が諸国の港へ持ち回られ、秋田にも移入。昭和32
(1957)年春、三味線の手を今日の派手なものに改良した浅野梅若は、節回しに
も工夫を加えた。同系の唄に「安来節」「越後船方節」「酒田船方節」「舟川
節」などがあり、加納初代(1893-1966)が得意にしていた。昭和33(1958)年
度NHKのど自慢全国コンクールで、佐々木常雄が浅野梅若の伴奏で唄って優
勝。以後、唄い方が定着した。
  米谷威和男(-2000)の尺八で唄う川崎千恵子は早めのテンポ。
            ◎佐々木常雄COCF-9303(91)
            ○小野  花子KICX-1007/8(98) CRCM-10011(98)
            ○川崎千恵子VDR-25127(88)
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  「秋田馬子唄」(秋田)
    《あべや この馬 急げや唐毛 西のお山に 日が暮れる》
  馬市への往来は、もっぱら夜間であった。通行人の邪魔になったり、臆病で
驚きやすい馬への配慮からである。博労たちは、馬の子守唄として、あるいは
孤独な一人旅の淋しさを紛らわすために、「夜曳き唄」と呼ばれる唄を唄った。
旧南部を中心に、この道中唄は東北一円に広まり、いく通りかの節回しが生ま
れた。レコード化の際、唄った民謡家の芸風がからんで、今日では全く別の唄
として数えるようになった。
  小野花子のビクター盤では、秋田三味線の名手・浅野梅若(1911-)が鈴を振
っている。
            ◎小野  花子VICG-2061(91) KICH-8204(96)
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  「秋田万歳」(秋田)
    《御国も栄えて おわします お城造りの 結構は
      門は九つ 櫓のその数は 玉を重ねし 如くなれば  極楽浄土に 異ならず》
  秋田地方の万歳で、御国万歳という。毎年正月に江戸城内に入ることができ
た三河万歳にならい、正月五日、佐竹候は久保田城に城下の万歳師を招き入れ
たという。
            ○鳥井  森鈴CRCM-10011(98)
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  「秋田港の唄」(秋田)
    《沖のかもめに 父さん聞けば わたしゃ立つ鳥 波に聞け》
  昭和14(1939)年頃、金子洋文が作詞・作曲した新民謡。
            ◎小野  花子COCF-9303(91)
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  「秋田もと摺り唄」(秋田)
    《もと摺りは 楽だと見せて 楽じゃない 仕事に楽が あるものか》
            ○原  田  会COCF-13992(96)
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  「姉こもさ」(秋田)
    《姉こもさ 誇らば誇れ 若いうち 桜花 咲いての後に 誰折らば》
  仙北郡の鉱山で、ふいごを踏む人たちによって唄われていた「たたら唄」が、
いつしか「祝い唄」になった。もとは岩手県の祝い唄である「気仙坂」が秋田
に移入され、たたら唄に転用されて「銭吹き唄」となる。仙北方面の鉱山で広
く唄われ、二上りの三味線の手が付いてお座敷唄としても用いられる。曲名は
唄い出しの文句から命名。戦前は黒沢三一(1894-1967)が得意にしていた。戦
後、初代浜田喜一門下の佐々木実が唄って秋田の代表的民謡になった。宮城県
の「斎太郎節」、福島県の「原釜大漁節」の元唄。
            ○小野 花子COCF-9303(91) KICH-8116(93)
            ○三浦喜美子COCJ-30333(99)
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