仏教一貫論の系譜
〜寺院における仏は死んだ〜

 

 仏教とは何かということを、わが国の近代仏教学における仏教一貫論の系譜から明らかにしておきたい。
 わが国の仏教研究において、仏教を貫く釈尊の根本精神を探る試みは、村上専精の「日本仏教一貫論」をもって嚆矢とする。村上は仏教を一貫する根本原理を十種にまとめ(
1)、従来の伝統的宗学に批判を試みた。「仏教は哲学にして又宗教なりといはんとす」(2)との言は、それまで仏教は哲学として扱われていなかったことを示している。その後、村上は「一貫」を「統一」に発展させた「仏教統一論」を順次刊行していったが、そこで目指したことは、教理の統一による仏教各宗の合同統一であった(3)。この試みは、各宗の基礎にある統一的な仏教の原理を究明しようとした「仏教一貫論」に基づいたものであり、その試みは今なお傾聴に値する。
 村上の衣髪を継いだとされる宮本正尊は「日本仏教一貫論」について、「仏教を一貫する根本原理は涅槃であるという構想のもとに論述している学的研究であって、これを『仏教涅槃論』と題してもよい」(
4)と述べている。
 姉崎正治は確実の歴史の中に、永遠の真理は見らるべければなり」(
5)と、仏教を思想史的に捉え、「仏陀弘化の真面目に接せん」(6)ことを目指した。姉崎の仏教研究における方法は、パーリ仏典と漢訳阿含を比較照合し、双方に一致する個所に説かれている仏教が、仏教の源泉としての「根本仏教」であるとするところにあった。姉崎の仏教一貫の原理は次のように結論されている。
 「而して仏陀の道はその最初の説法即ち転法輪の劈頭に宣示せられし如く中道にあり。苦楽を超越したる中道、有無の見解の上に立つ中道、此等は仏教を一貫する理想としてその始めより存しぬ」(
7)。すなわち、仏教を一貫する原理は「中道」であるという。「中道」とは「一切の相待を絶する處、認識の主客を合一したる處に実在を発見し、その実行の上にては善悪、禍福、苦楽総て超え了せる處に無為寂静の理想ありと教え」(8)たものであり、「諸法の実相を有りの儘に観取り、有りの儘に感受して、求めず、避けず、好まず、嫌わざる有りの儘の至境に到るの道」(9)であるという。
 木村泰賢の仏教一貫の原理は「大乗仏教思想論」の中で明らかにされている。木村は仏教思想の特質は、仏陀、法、縁起、心、中道を相互に関連させて考察すれば得られ、これらは全て同一の中心から出たものであって、そのいずれかを徹底的に押し進めれば、全体に関係してくるものであるという。
 仏教は仏陀を中心として成立し、仏陀は法によって仏陀となることができた。その法とは縁起にほかならない。教理がさまざまに展開した主な理由は、同じ縁起観が次第に深化し、複雑化したためである。縁起観は「心観」を出発点として構成された。大乗仏教においても、自然態を空に帰着し、空をさらに妙有に転換する根拠は、要するに我々の心的態度のいかんにあるという(
10)。したがって「法といい、縁起というも、所詮、我が一心の種々相に外ならぬというが原始仏教より大乗に到るまでを一貫した仏教の極意」(11)であるとして、木村は、原始仏教から大乗仏教にいたるまでの仏教に一貫する原理を「心観」(12)に置いた。
 宇井伯寿は「原始仏教資料論」で、仏陀の直説がいかなる資料によって明らかになされ得るかを論じ「結局余のいう仏陀の説又は根本仏教の説は吾々の論理的推論の上に構成せらるゝものであって、其外には到底判らない」(
13)と結論した。「原始仏教資料論」の後半では、仏陀の説、または根本仏教の説を推論し、仏陀の根本思想は「諸行無常、一切皆苦、諸法無我」であり、これらの説を根拠として導き出されるものが「縁起説」であるとした(14)。宇井の「縁起説」が仏陀の根本思想の根拠をなすとの結論は、仏教がいかなる発展を遂げたとしても、その根底には「縁起説」が一貫した原理として存在しているといった視点を導き出す。宇井によると、仏教一貫の説を求めることは仏教における必然的な考え方であり、それは三法印、四法印として、阿含経の成立した頃から存在していたが、この法印は縁起説で置き換えることが可能であって、「縁起に対する解釈の仕方で、仏教の種々なる系統、又は、部門、が現はれた」(15)という。
 そこで宇井の一貫論は「要するに、仏教は吾々の生存を以って縁起と見るものであって、仏教を一貫するものは縁起の考え方であるといえるであろうと信ずるを得るに至った」(
16)と結論した。
 中村元は「原典批判的研究を最後のぎりぎりのところまで押し進め」(
17)、それに基づいて最初期の仏教思想をまとめることを目指した。あくまでも客観的な確実な証拠に基づいて論議を進め、先入見を排除することに努めていけば「かえって後世の大乗仏教などとの思想的連関乃至対比も明か」(18)になるという。
 村上専精が明らかにした「涅槃」、姉崎正治がいう「中道」、木村泰賢の「心観」、宇井伯寿の「縁起」といった、仏教の本質を最もよく表し、かつまた原始仏教から大乗仏教に至る仏教を一貫する原理についての中村の見解は否定的である。こういったことは全て仏教以前、または仏教と同時代の宗教や思想の中に求められ、その全てが「仏教のうちに取り入れられた」(
19)という。そこで「それでは仏教における本質的なものは何かという問題にぶつかる」(20)と述べ、その本質について以下の回答を提示した。
 「それは縁起の系列や中道などということばの外に求められなければならない。その本質的なものがあるが故に、仏教が他の宗教や哲学と似た教説を述べていたとしてもなほそこに趣意の相違があるということが可能となる。それでは仏教に特徴的なその本質的なものは何か、ということになるが、それは仏教が形而上学的思索を排斥して実践的認識を求めていたということ、すなわち仏教は哲学体系ではなくて『道』であるという点にある」(
21)。
 この「道」について、さらに詳しい説明を求めたところ「人間として、よりよく生き、正しく善なるものを志向しつつ生きていくための道ということで、何が正しく、何が邪であるか。その正邪を究め、善悪を判断するというように、ダルマを求めていく動きが仏教なのである」(
22)とのご教示をいただいた。この回答は、近代仏教学の到達点を示している。
 わが国における近代仏教学の仏教一貫論を概観したが、中村によって提示された近代仏教学における「仏教とは何か」との結論を、現存する仏教各宗の開祖の行動において検証したとき、それは極めて闡明に理解できる。実に彼の人々は、自己の証悟と利他救済のための教法を、自らの主体を賭して選び取り、衆生済度の険難の道を敢えて歩み続けた。膨大な経論の内、一体いかなる経典が釈尊の正意であり、いかなる経典が多くの人々を救済できるのか、それを究め、それを知らしめんがために、各々の教判を打ち立てて(
23)民衆の大海にその身を投じていったのである。その実践はあくまでも形而上学的思索を排斥し、身口意の三業による実践的認識を重視したものであった。まさにその姿の中に仏教は脈動する。
 人は今、仏教といえば寺院と出家者をイメージするであろう。いわば寺院仏教、出家仏教として仏教が理解されている。では現在の寺院仏教、出家仏教の中に、果たして仏教が存在しているといえるであろうか。
 江戸期以降、仏教教団は幕府権力維持のために利用され、保護されることで堂塔伽藍のなかに安住し、教勢拡大に意を尽くす事なく時代を送ったのであった。
 思うに実践的認識が最も要請される場は、弘教実践の場である。弘教を忘れた各宗各派の仏教教団は、静止的形態の中にあった。更に明治維新政府の強力な仏教統制政策のもとで、肉食・妻帯・蓄髪の許可を享受し、神道優位の権力構造の支配下に組み込まれることで、その主体性と自主性を放棄した(
24)。
 次いで今次の敗戦がもたらした信教の自由、布教の自由は、新宗教の一斉興起を促し、新宗教は教勢拡大のために、熾烈な弘教活動を展開したのである。
 弘教実践の現場では積極的な教団アピールが行われ、他宗批判の理論闘争が行われた。こうした動きに対して寺院仏教、出家仏教側は、信徒切り崩しに対する防戦を余儀なくされたが、一歩進んで教勢拡大のための活動を展開したことは、寡聞にして聞かない。大衆の寺院離れの傾向は、人類史の大きな流れである。もはや寺院の中には、仏教が存在しないかのようである。
 十九世紀末、ニーチェは教会における「神は死んだ」と宣告した。ニーチェの筆法を借りるならば、二十一世紀を目前にした世紀末の現在、寺院における「仏は死んだ」と宣言せざるを得ない。
 人間精神の危機的様相がさけばれる今日、世界は新たなる指導原理を求めている。今こそ仏教者は、近代仏教学が提示した仏教の本質に思いを留め、着実なる歩みの歩を運ばなければならないのである。

 

  1. 「日本仏教一貫論」p14
  2.  同書 p2
  3. 「仏教統一論」第一編「大綱論」p10
  4. 「明治仏教の思潮」p70
  5. 「現身仏と法身仏」p3
  6. 「根本仏教」序言p1
  7.  同書p44
  8.  同書p44
  9.  同書p54
  10. 「大乗仏教思想論」p43
  11.  同書p43
  12.  同書p43
  13. 「印度哲学研究」第二p174
  14.  同書p224
  15. 「仏教思想研究」p7
  16.  同書p326
  17.  中村元選集第13巻「原始仏教の思想上」p1
  18.  同書p3
  19.  同書p82
  20.  同書p82
  21.  同書p82
  22.  1981.12.26
  23.  拙稿「印度学仏教学研究34-1」
  24.  拙稿「同38-1」

 

(「印度学仏教学研究」第四十巻第一號 一九九一年十二月)

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