響きと調べ 1

 CDとLP
 小泉文夫音楽賞
 平和の武器
 美と醜
 芸術の創造
 ホルショフスキー

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<CDとLP>

 82年、音楽ファンの期待と注目を集めてCDが登場。音質がよい、ノイズがない、半永久的という触れ込みであった。
 ところが、CDは湿気、熱、きず、かびに弱いし、同じ音楽をアナログとCDで聴き比べると、何かが、どこか違うことは、誰もが感じることである。
 輸入盤と国内盤のCDを聞き比べると、同じ音源であっても、スピーカーとリスナーとの間に、ごく薄いカーテンがあるかなしかのような、そんな違いに気付く時がある。オリジナルマスターテープのコピーから作られた国内盤の音が劣るのは当然なのだろう。
 日本盤と違って、ほとんどの輸入盤には、ディスク全体にアルミ蒸着がほどこされている。ここからも、音質に微妙な差異を生ずるが、わずかなアルミの倹約は、いかにも経済優先の日本企業らしい。
 カップリングを代えて再発売される国内盤のCDは、発売当初のものに比べ、音質が落ちているものがある。理由の詮索は別の機会にしたいが、そこに利潤追求を至上とする、日本企業の体質を垣間見る思いがする。
 CDプレイヤーは、毎年、バージョン・アップされ、まさに日進月歩。CDの材質も、従来のポリカーボネイトから、新素材へと移りつつある。
 リスナーは、こうしたソフト、ハードの両面にわたっての一方的な改変に、なにも関与できないでいる。あまりに高度なハイテク技術が、そこに投入されているからだ。アナログのプレーヤーには、トーンアームやカートリッジを換えたり、改造工夫の楽しみがいくつもあった。
 CDは確かに便利だが、LPにはまだまだ捨て難い魅力が残っている。
 便利になることはいいことだが、それにつれて心や考え方が貧しくなったり、知らずしらずの内に、何か大事なものを見落としてしまっているのではないだろうか。深く追求していくと、これは日本人の本質部分に触れる問題になってくる。
 アナログ・レコード国内製造中止で、LPの良さが静かに再認識されつつある。音響文化におけるホメオステーシスかもしれない。とまれ今、あらゆる分野で、人間視座の原理的思想性、理念性の確立が望まれている。(92.4.18)


<小泉文夫音楽賞>

 第三回小泉文夫音楽賞の受賞式と祝賀会があった。
今回の受賞は、ホセ・マセダ(フィリピン大学名誉教授)と井野辺潔(大阪音楽大学教授)の両氏。マセダ氏は、永年の東南アジア音楽研究によって、この地域の音楽特性を世界に知らしめた功績。井野辺氏は、人形浄瑠璃の構造的研究の第一人者で、近年は共同研究を推進。日本の劇音楽の解明に貢献したことによる。
 この音楽賞、民族音楽の研究に生涯を捧げた小泉文夫氏(1927-1983)を記念して、三枝子夫人が創設したものだ。毎年、民族音楽の分野でのユニークな音楽研究、または音楽活動を行った個人や団体の業績を顕彰している。
 小泉文夫氏は、おおいなる好奇心に支えられた新鮮な視点と発想で、わが国の民族音楽研究を大きく牽引した。
 1977年、(財)民主音楽協会は、小泉氏を団長とした調査団をシルクロードに派遣。その成果を踏まえて、1979年から「民音シルクロード音楽の旅」の公演をスタートさせた。以後、隔年で実施。特に、85年の四回目の公演が、印象深く思い出される。
 この時、中国、トルコ、ソ連が参加。政治的には対立関係にあった中国とソ連の芸術家達が、初めて同じ舞台で合同演奏を行った。終了後、お互いに手を取り合い、麗しい交歓のステージを作り出したが、会場には感動が幾重にも広がった。音楽文化が、民族や国家の違いを超えて、人々の心と心を固く結び付けたのである。
 確かなる世界平和への前進が望まれる現在、民音が行う音楽文化の積極的交流は、小泉氏の見果てぬ夢を、更に確実なものとしていくことだろう。武力の底流には破壊の衝動があり、文化の根底には創造の息吹がある。
 祝賀会の途中、時ならぬ雷鳴と雨が都心を襲ったが、会が終わる頃には止んでいた。
 確かなスタンスから生み出された学的業績と、行動的思索に裏付けられた思想は残っていく。ネオンで光る濡れた舗道を歩いていると、そんな感慨が脳裏をよぎった。(92.6.18)


<平和の武器>

 人類が希求してやまない世界の平和は、ただ安閑として腕をこまぬき、座していて達成されるものではない。自らが平和実現のために、能動的、積極的に関与して行ってこそ、平和は現実のものとなろう。
 平和達成のための優れた方法論であるガンジーの非暴力絶対平和主義も、あえて銃口の前にわが身をさらし、騎馬のひずめに蹂躙(じゅうりん)されてもなお、その方法を貫く勇気ある実践が底流にある。銃口から逃げ去り、状況から逃避して、わが身の安全を計りながらの非暴力主義ではない。
 平和と戦い。これは、一見、相反する概念であるが、戦いの語源が、矛(ほこ)「を交えるという能動性と積極性に支えられていることからしても、能動性と積極的関与を要請される平和の達成にも、戦いの姿勢がなくてはならない。それに、まず何よりも自己と対決し、自分に勝つ戦いから、すべてが始まる。
 では、平和のための矛とは何であろうか。この回答は、平和研究の父といわれているガルトゥング博士と、民音創立者の池田大作氏の対談に示されていた。いわく、文化・芸術は平和の武器であると。
 芸術は、時代と民族と個人を表現の場としながら、人間生命が宇宙生命と出合うことによって触発され、創造された魂の形である。芸術は、宇宙生命に内在する力の発現であり、芸術作品に触れて感動することは、作品を通じて宇宙生命に触れることである。
 人は優れた芸術に触れると、人と自然と宇宙が一体であることを感ずる。優れた芸術作品に触れた時の充足感、歓び、込み上げる感動は、自己の生命が宇宙生命の精妙なリズムに促されつつ拡大していく確かな実感に違いない。
 自己と他者の人間同士が、共に芸術を通じて宇宙根源のリズムを共感し、感動を共有するその時、お互いの心の連帯が急速に可能となろう。芸術によって導かれる人間の連帯と宇宙生命への接近は、友愛、慈悲、非暴力、信頼、人類意識、世界意識といった高貴な心を醸成していく。
 まさに文化・芸術こそ、平和の武器。 (92.9.18)


<美と醜>

 人間の感覚は、美しいものに囲まれていると、醜いものをすぐに看破するが、醜いものに馴らされると、美しいものを感じなくなるらしい。
 「贋物ばかりを見ている眼には、本物が見えなくなる。現代は、まさしく醜に馴れて麻痺した美感覚が一般化した、悲しむべき時代であると言わなければなるまい」……武蔵野美術大学学長・水尾比呂志氏の言葉である。
 水尾氏は、民族藝術学会の東京方面の中心者でもあるが、例会でお目にかかる度に、親しく懇談していただき、懇篤なるご教示を頂いている。山羊のようなあご髭が白く、いつも微笑をたたえておられるが、若きころは、舌峰鋭い直截的(ちょくせつてき)な美術評論を展開して、斯界(しかい)に益多き論争を巻き起こされていた。
 「本物の美に対する認識判断は難しい。自分の気に入ったものを美しいと言い、その美をすぐれた美と考えることは、誰にでも、すぐにでもできようが、私たちが美しいと感じたもの、美しいと認めた美が、どれだけ普遍性を持ち得るか。それは、美と感じた人の眼識が、どれだけ普遍的な美を発見し得る鋭さと深さに達しているかということだ」とも。
 これは芸術の世界だけに、とどまるものではない。人間とその生き方にも当てはまる。
 他人のことはさておき、自己の生きざまは、果たして美か醜か。生き方が美であるとすれば、その美は果たして普遍性を持ったものなのかどうか。自身を客観化し、その生きざまの美醜を看破(かんぱ)出来ないのは、本物の観照力と眼識を持たぬ者の悲しさ。自分のやっていることの醜さが分からない。
 善悪の根拠は理屈であり、何とかにも三分の理であるが、普遍的な美の認識にはその人の全人格的な観照力と、眼識の修練が問われる。審美眼は、教養、見識、哲学、人生観の総動員だ。単なる付け焼き刃的で浅薄なそれでは、とうてい本物を看破することは出来まい。意識下にまで切り込んだ絶え間なき自己変革と、たゆまぬ研鑚が、要請される所以である。 (92.12.18)


<芸術の創造>

 芸術の創造は、人間の本然の営みである。人間が人間である限り、その営みは続けられる。
 その営みを維持し発展させる要因は、芸術における尊極にして至高の境地を希求し、それを目指して自己の生命を飛翔させ、上昇させようとする願いである。至高の境地肉薄への、やむにやまれぬ願望は、人間に内在する普遍性であり、この希求力こそ、優れた芸術を生み出す本源力である。
 おお友よ、このような調べではない。もっと快い、歓喜に満ちたものを歌おうではないか……これは、至高・尊極の神聖なる境地を希求する偉大な芸術家の、生命飛翔の願望からのよびかけである。
 芸術における至高・尊極の境地に自己の生命を開き、その境地との融合希求から生じる生命のダイナミズムは、生き生きとした芸術を生み出す。作品は、そうした人間生命が形の上に発現したものであり、作品の完成度は、至高の境地到達に至る生命境涯の段階に相応している。
 我々が優れた芸術作品に触れた時、我が胸中に共感の波動が広がり、胸中の琴線は共振する。それは、優れた芸術作品として発現された作者自身の生命の希求力が、観る者、聴く者の胸中に発動し、共鳴する故である。
 優れた芸術作品は、清らかなやすらぎの雰囲気と、確かなる存在感と独自の気品を持ち、時を超えて観る者、聴く者に語りかけてくる。
 芸術創作の本源力が、人間生命に根ざしたものである故に、国や民族の相違によって、その本質を変えることはない。優れた芸術は、異なった風土に住む人々の心と心をも結び付け、友愛を育てる。至高の境地を希求する生命に内在する普遍性は、時空を超えて人間と人間の心をつなぐのである。
 芸術を媒介にして、人間と人間が融合・共和した姿には、人類の限りない希望と、確かなる平和への基盤がある。生命と生命との内在的普遍性が共鳴するところ、人間共和の麗しいハーモニーが奏でられ、愛の共同体が形成されていく。
 芸術に国境はなく、音楽は人類の共通語。 (93.3.18)


<ホルショフスキー>

 ホルショフスキーが百歳の生涯を閉じた(93.5.22)。あとひと月で101歳の誕生日(6.23)を迎えるところであった。
 95歳の87年12月、カザルス・ホール出演のために来日した時は、バッハ、モーツァルト、ヴィラロボス、ショパンを披露。本物を見抜くことが出来る確かな目を持つ人々によって、その感動は今も語り継がれている。
 ホルショフスキーの凄さは、百歳まで現役のピアニストであったことだけではない。その芸術性が向上の道程にあったことである。例えばモーツァルトのソナタを聴くと、来日時のものと翌年の録音では、88年の方がタッチが明快で、より良き演奏となっている。98歳のカーネギーホール(90.4)でのコンサートも、その素晴らしい演奏を、映像で確認することが出来る。
 日本の伝統芸能の世界に、長生きも芸のうちという言葉がある。これはただ長く生きていることが芸であるというのではなく、長く生きていると、さまざまなことに遭遇し、それを乗り越えていくことで、人間の幅ができ、芸にも幅が出来ることをいう。
 人間は歳を重ねていくに従って、人格が成熟していき、視野も広くなり、境涯も大きくなって、物事がよく見えてくるというのが理想だ。若さは、希望と躍動感にあふれているが、未熟、無知、傲慢と同義である場合が少なくない。
 古来、老いることは生老病死の四苦として、人生の根本苦の一つとされている。肉体が衰えるのは自然の摂理だとしても、精神の輝きを失わず、希望を持ち、新たな目標に挑戦して、日々、前進する姿に老いはない。
 百歳のピアニストは、永遠の芸術性を求め、劫初から造り営む殿堂に、黄金の釘打つ意欲を失わなかった。故に死の間際まで、老いに敗北することがなかった。89歳と49歳の初婚同士で結婚した妻のビーチェといつも一緒で、幸せいっぱいの日々であった。
 ホルショフスキーの生涯は、人間の可能性と、生き抜くことの素晴らしさを教えてくれる。(93.6.18)



<民音音楽資料館館報「みゅーずらんど」No.18〜23所収>


(c) 1992,1993,2000 暁洲舎

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