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プログラム・ノート

★モーツァルト Wolfgang Amadeus Mozart(1756.1.27-1791.12.5)
 交響曲第25番ト短調 K.183(173dB)Symphonie Nr.25 G-moll K.183(173dB)

 1984年度アカデミー賞8部門受賞作品「アマデウス」のテーマ・ミュージックとして使われてから、一気にファンが増えた。モーツァルト17歳の作品。1773年10月5日に完成。約26分の短いものだが、音楽学者のアーベルト(Hermann Abert 1871-1927)は「モーツァルトの交響曲作品のなかで最も重要なものであり、モーツァルトの中に何度も燃え上がった情熱的でペシミスティッシュな気分が、最も激しく表現されている……第一楽章のシンコペーションによる冒頭音型こそ、真にモーツァルト的である」と言っている。
 モーツァルトは、その生涯に41の交響曲を作ったが、短調作品は25番と40番の二つだけである。40番は「大ト短調」、25番は「小ト短調」とも呼ばれる。モーツァルトのイメージからすると、短調の作品が多いのではないかと思われがちだが、本当の哀しみとは、明るく陽気な振る舞いの裏にひそんでいるものだ。鳥や虫は鳴いても涙は落ちないが、モーツァルトは微笑んでいても、瞳の奥ではいつも涙が流れている。
   [第1楽章]アレグロ・コン・ブリオ
   [第2楽章]アンダンテ
   [第3楽章]メヌエット
   [第4楽章]アレグロ

★モーツァルト
 交響曲第41番ハ長調「ジュピター」Symphonie Nr.41 C-dur K.551 "Jupiter-Symphonie"

 J.P.ザロモン(J.P.Salomon 1745-1815)以来、ジュピターと呼ばれる壮大華麗な作品。堂々として輝かしく、堅固にして緻密な、あたかも王者の風格を持つ。この作品の性格を表わすのに、これほど適切な愛称はない。
 モーツァルトは、1786年5月の「フィガロの結婚」初演あたりから、宮廷作曲家・サリエリたちの陰謀に悩まされる。彼らにとって、モーツァルトは立場を脅かす強力なライバルであった。嫉妬が渦巻き、オペラの上演には妨害があり、悪評が撒かれた。1787年5月末に、最大の保護者である父レオポルトを失い、以後、三度の食事に事欠くようになる。彼の歌劇が劇場で連夜の大入りを続けていても、家に帰れば飢えと寒さにふるえながら、暗い蝋燭のもとで創作のペンを走らせるという毎日だった。寒さしのぎに、愛妻コンスタンツェと一晩中踊り明かしたこともあった。
 白鳥は死に瀕したとき、最も美しく鳴くという。
 最後の交響曲は1788年の8月10日に完成している。美しい響きに満ちあふれた39番は6月26日、美と哀しみの結晶第40番は7月25日。じつに2ヶ月足らずのうちに、かくも美しい三大交響曲が生み出された。まさに奇跡である。しかも、いずれも初演の日が確定できず、モーツァルトの生前には日の目を見なかった。
 モーツァルトの交響曲群は、この曲で幕が下ろされる。死は三年後に迫っていた。
   [第1楽章]アレグロ・ヴィヴァーチェ
   [第2楽章]アンダンテ・カンタービレ
   [第3楽章]メヌエット アレグレット
   [第4楽章]モルト・アレグロ

★ベートーヴェン Ludwig van Beethoven(1770.12.16-1827.3.26)
 交響曲第5番ハ短調「運命」Symphonie Nr.5 C-moll Op.67

 「この『第5番』は聴く人を、なぜ、かくも激しく感動の坩堝にまきこむのであろうか。それは、人間の持つあらゆる感情、つまり、苦悩、闘争、憤怒、悲哀、そして歓喜などが、俗に『運命』とよばれる力強い4つの音ではじまって、歓喜に満ちあふれた輝かしい終楽章で結ばれるこの曲の中に、みじんの虚飾もなく、簡明直截に語られているからである」音楽評論家・志鳥栄八郎氏(1926- )は、この曲をこう解説した。
 志鳥氏は、その絶頂期である昭和40(1965)年代初期、整腸剤キノフォルムによる薬害のために失明の危機に直面する。再び立ちあがれぬ絶望のどん底に落ち込む寸前、志鳥氏はベートーヴェンの音楽を命綱として、暗黒の淵から這い上がった。それから三十有余年、志鳥氏の懸命の努力と強き意志は多くのクラシック・ファンを育てあげ、わが国の音楽愛好家の裾野を大きく広げたのである。
 「とにかく、この交響曲ほど、人間の持つ喜怒哀楽の感情を、虚飾なく、率直に、かつ鮮明に打ち出した音楽というのはほかに例がない。世の音楽愛好家は、とかくこの曲を聴きなれているせいか、ともすると軽視しがちだが、そうした態度は間違っている。ここには、運命との過酷な戦いに勝利を収めたベートーヴェンのすべてがあり、その不退転の気迫に、わたしはいつも心打たれ、力づけられるのである。もしあなたが、これからの人生で前途の光明を見失うようなことがあったとしたら、ぜひこの曲をじっくりと聴いてほしい。きっと、新たな人生への希望と勇気が、凛々と湧いてくるに違いない」とも。
 クラシック音楽の魅力を平易に語らせて、志鳥氏の右に出る者はない。
 1802年10月、ベートーヴェンはハイリゲンシュタットで遺書を書いた。未投函で、生涯にわたり机の中に仕舞い込まれていた遺書は、自殺を前にした遺書ではなく、新たなる生への決意を固めるための手記であった。そこには死を覚悟した人間の真実の輝きがある。いつ死ぬかも分らないという危機感に迫られてはいても、その日がくるまでは、芸術家としての使命をまっとうしたいという強い決意が現れている。
 「絶望がもう少し大きければ、私は自らの生命を断っていただろう。ただ私の芸術だけが私を引き止めた。ああ、私は、自分のなかにあると感じているものすべてを生み出すまでは、この世を去ることはできないと思った」(西原 稔訳)。
 雄々しく立ちあがったベートーヴェンの決意の結実が、この第5交響曲である。作曲は1807年から翌年にかけて。初演はベートーヴェン自身の指揮により1808年12月22日、ウィーンのアン・デア・ウィーン劇場においてであった。ロプコヴィッツ侯爵とラズモフスキー伯爵の二人に捧げられている。
 「運命」の呼び名は、弟子のシントラー(Anton Schindler 1795-1864)が、冒頭の第一主題の意味をベートーヴェンに尋ねたところ、「運命はこのように扉をたたくのだ」と答えたというエピソードから生み出された。ベートーヴェンの九つの交響曲のうちで、ひときわ抜きんでた秀峰であるばかりでなく、古今の交響曲のうちの最高傑作である。一音たりとも無駄のない、精密で堅固な構成を持つ。
   [第1楽章]アレグロ・コン・ブリオ  
   [第2楽章]アンダンテ・コン・モート
   [第3楽章]スケルツォ アレグロ(休止することなく終楽章へ続く)
   [第4楽章]アレグロ

(第128回「宇宿允人の世界」演奏会プログラム 2001.04.03)

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