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茨木古墳群

 当市北部の山麓一帯は、何千年も前に文化が開けていたので、多数の古墳が残っている。古墳は古代の天皇や豪族の墳墓であるが、当時、鍬やモッコで工事をしたので、数百、数万の人が何年も費して造った。それぞれの形によって方墳、円墳、前方後円墳と名づけられる。次に有名なものをあげる。

1.大門寺古墳
安威川上流右岸、大門寺集落の西にある。
2.藍野陵
東芝工場の北側にある第26代・継体天皇陵。前方後円墳で、周囲に1200米の堀があり、中央は一つの山となり、千古の密林は昼なお暗く、立入禁止地域のため、数千の鳥獣が住みつき、殊に白鷺の大群がこの森をねぐらとするため、その糞で古木が枯死するほどである。枯木に群る白鷺は、まさに景観である。どんよりとした堀の水は多くの水草におおわれ、何か異様なムードが漂う。
先帝・武烈天皇には世継ぎがなく、病篤くなられた時、誰を立太子するかについて、御所では側近の人々が心配した。そして会議が毎日開かれた。ある日誰かが、茨木の藍野に、系統の人が世をしのんで住んでいるとの話を出した。早速、役人を出して捜し、連れ帰られて即位されたのが継体帝であるという。この帝は、先帝・武烈天皇より実に九代もさかのぼる第16代・仁徳天皇の弟君、稚渟毛二派(ちてもには)皇子の四代目の後裔であるから、側近の人が如何に苦心されたかわかる。そのために、ゆかりの地・茨木に御陵がある。北摂唯一のものである。
今では広い地域に人も近づかず、昨年は幽霊騒ぎがあったりした淋しい所だが、この周囲の緑地を公園化でもして、市民に開放したらよいと思う。最近、高槻に今城塚が発見され、これが凄く大きい規模なので、今城塚が天皇陵で、藍野陵は皇后陵ではないかとの説があるが、確かな資料は発見されていない。
3.新居屋(にいや)古墳群
一昨年夏、福井西側山地を宅地にするため、切り開いたところ、続々と古墳が出た。驚いた建設会社は、市に連格した。京大の調査隊が来て、24ヵ所を発掘、土器や刀剣、曲玉等が多数出て、考古学研究の貴重な資料となった。大陸から帰化した豪族のものといわれる。
4.紫金山・青松古墳
豊川宿久庄(しゅくのしょう)の警察病院の中にあり、山頂を利用して作られてある。病院の建設中に発見された。
5.海北塚古墳
新居屋古墳の南にあり、昔の馬具が多数発掘された。
6.鎌足古廟
安威の西にある。大化の改新に功を立てた藤原鎌足は、後年、神祇伯とい
う役をもって茨木の地に閑居したといわれる。自然の山をくり抜き、巨岩を積み重ねた穴倉が残っている。後に奈良県談山神社に移されて、ここは古廟として残った。
7.耳原古墳
耳原(みのはら)の北にある。円墳と方形墳がある。相当荒らされているが、かなり原型を止めている。

 高速道路や宅地造成のため、多くの古墳がブルトーザーでこわされてゆく。市ではこれらの保存に努めているが、年々減ってゆくであろう。有名なものだけでも残しておきたいものである。

(ツバサ工業(株) 社内報『ツバサパイロット』1965.4.5)

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