【茨木町】
大正の頃、茨木神社の西側に茨木川が流れ、ふな・はす・だち・おおぐち・なまず・うなぎなどが多くすんでいた。流れは寺町橋をすぎると深い淵（ふち）になる。やなぎ淵と呼んだ。渕の西堤は広く いばら・うるし・ささなどが一面に繁っていて、椋（むく）・榎（えのき）・楡（にれ）の大木が森になり、太い幹は大きな空洞（くうどう）になっていた。この空洞が狐狸（こり）のすみかである。森は昔の刑場跡で「刑場の森」と呼ばれ、ここの大狸が虎姫狸と呼ばれていた。
森の西側は大坂街道で、道に沿い小川が流れ、小川には井堰（いぜき）があった。毎年六月の田植え時になると、井堰に板をはめ込んで流れを堰止（せきと）め、下中条一帯の田圃（たんぼ）に水を引き入れる。時に下方（しもがた）から、百姓衆が闇（やみ）に まぎれて板を引上げにくるため、堰には夜番（よばん）がついていた。
ある闇（やみ）の夜、寺町の竹やん、政やん、定やんの三人が当番についた。一人ずつ交代で立ち番し、残る二人は小川の土手に筵（むしろ）を敷いて仮眠することにした。夜も更（ふ）けて、森で鳴く梟（ふくろう）の声も物凄い。立番は政やんであった。政やんは立ったまま、時々居眠りしていた。と、突然寝ていた竹やんが唸（うな）り出し、見ると手足をばたばたさせている。政やんが驚いて駈（か）けよると、何か白いものがパッと森の方へ逃げて行った。ゆり起こされた竹やんはハッと気がつきとび起きた。どうしたのかと聞くと、虎姫狸に胸をしめつけられたと言う。政やんは急いで提灯（ちょうちん）に灯を入れた。提灯の灯に浮かび出た竹やんは、頬（ほお）かむりが落ちて顔は青く、頭髪は総立ちとなって歯がガタガタと音をてていた。
水番の竹やんが虎姫狸に胸をしめつけられた事があって数日後、城之町の秀やんが上中条の田圃（たんぼ）に野良（のら）仕事に行ったまま、夜になっても帰らない。家の者や近所でも大騒ぎとなった。そこで みんなで探しに行く事になった。二人で一組になって、秀やんを探した。田圃一帯に「秀やん、秀やん」と呼ぶ声が聞こえ、提灯が人魂（ひとだま）のように往き来（ゆきき）した。茨木神社の森は黒い屏風（びょうぶ）のようである。森の千年杉や不老松、長春（ちょうしゅん）松が ひときわ高く星明（ほしあか）りの中に見えていた。
茨木川の右岸ぞいを探す組が、六軒町橋の下手へ草を分けながら下って行くと、川の中を一人の男が鍬（くわ）を担ぎ、何やら ぶつぶついいながらジャブジャブ水音を立てて歩いている。川岸から「秀やんかーッ」と呼んでも、返事もしないで歩き続けている。やむなく二人は川に飛び込んで近づき、提灯を近づけてよく見るとやはり秀やんである。秀やんと呼んでも、なお ぶつぶつ つぶやくだけなので、ドカッと肩を殴りつけた。秀やんはハッと正気に戻った。
それから家に帰った秀やんは、三日ばかり熱を出して寝込んでしまった。後で訳を聞いても さっばり要領を得ず、近隣の人々は「これはきっと虎姫狸のいたずらだろう」と語り合った。
こんなことがあってから、時々、刑場の森のそばに誰がするのか、さんだわらに載せた握り飯などが置かれてあるのを見かけるようになった。その後、大坂街道は人馬（じんば）の往来も繁（しげ）くなり、刑場の森も次々と切り開かれていった。それからの虎姫狸がどうなったかは、誰も知らない。
『わがまち茨木−民話・伝説編』(茨木市教育委員会
1984)
に所収、補訂
(c) gss042@1134.com 1981,86,91,99